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戦国策は勉強になる

よしをです。
戦国策は、紀元前後に、前漢の劉向が編纂し、
戦国時代のエピソードや寓話などをまとめた書物です。
その後は、一部が散逸し、再編纂され、
現在伝わる戦国策は、北宋時代に完成したものです。
日本には、9世紀に書名の記録がありますが、
現存するものは、やはり北宋本で、江戸時代に広く読まれました。
「漁夫の利」、「遠交近攻」、「先ず隗より始めよ」、などの故事は、
戦国策が出典元です。

春秋戦国時代は、
孔子に代表される、さまざまな思想家が生まれた時代でもあり、
周の封建制度が崩壊し、中原は混乱状態に陥りますが、
やがて、各国は武力による侵略に倦み、
合従連衡に代表される、頭脳戦に変化していきました。

魏王が楚の懐王に美人を送ると、懐王は女に夢中になりました。
王には、南后(なんこう)と鄭袖(ていしゅう)という2人の愛妾がいました。
鄭袖は、王の新入りの妾への、並々ならぬ執着を知ると、
衣服や身の回りの品々を、王の好みにコーディネートしてやるなど、
その妾を、たいそう可愛がりました。
懐王は、鄭袖の忠義を褒め、ますます信頼を厚くしました。

鄭袖は、自分が新入りの妾に嫉妬していないことを、
王と妾に信じさせることに成功しました。
鄭袖は、妾に、
「王はあなたの美しさに夢中ですが、あなたの鼻だけはお気に召さないようです。これから王の前に出るときは、自分の鼻を隠すようにしなさい」、
とアドバイスします。

妾は、王の前に出ると、鼻を手で隠すようになりました。
不思議に思った王が、鄭袖に理由を尋ねると、
「王の臭いが嫌なのだそうです」、と答えました。
懐王は、怒り狂い、有無をいわさず、妾を鼻切りの刑に処しました。

鄭袖が、あたらしい妾に嫉妬しないのは、不自然であり、
王は、その理由に、考えを及ぼさなければなりませんでした。
しかし、懐王は、自分にとって心地よいために、
鄭袖の態度の裏を、疑ってかかることができませんでした。

結論からいえば、王は鄭袖に聞くのではなく、
直接、妾に理由を尋ねればよかったのです。
しかし、鄭袖がそのようにさせなかったともいえます。
鄭袖の勝因は、王と妾の両方から、信頼を得られたことですが、
一歩間違えれば、自分が粛清される可能性もあったわけです。
鄭袖は、命がけの覚悟で、謀略を仕掛けたといえるでしょう。


楚の重臣屈原は、内政改革や法整備、賢人重用を主張し、
外交においては、「連斉抗秦」を唱えました。
しかし、かれの革新的な政策は、頓挫してしまいます。
南后、鄭袖の2人の愛妾の讒言によって、屈原は追放され、
それ以後、懐王は、縦横家張儀の弁舌の罠に陥って、
無駄に国力を消耗させていくことになりました。

戦国時代の暗君の代名詞といわれる懐王の力量では、
到底、妾たちや張儀による、
命がけの策略を見破ることはできませんでした。

懐王は、秦との戦いに敗れて、秦に幽閉されて獄死します。
屈原は、楚の滅亡が目前に迫ると、
石を抱いて川に身を投げ、国に殉じました。
経営者が愚かだと、
自分だけでなく、有能な部下も不幸にしてしまいます。


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