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銭貨と紙幣

よしをです。
宋が鋳造、発行した銭貨は、宋元通宝にはじまり、太平通宝、
淳化元宝、至道元宝、景徳元宝、祥符元宝、建炎通宝などが知られ、
北宋時代で30種類ほど、南宋時代で20種類ほどが鋳造されました。

宋銭は、中国国内だけでなく、
流通範囲は、金、西夏ベトナムから、インド、ペルシアまで及び、
平清盛は、日宋貿易によって、
宋銭を大量に輸入して、国内で流通させました。

宋銭は、室町時代まで、長期にわたって使用されましたが、
摩耗や破損など、劣化したものが多くなりました。
貨幣経済が急速に発達したことから、さらに銭の需要が高まり、
あらたに、明の銭貨が輸入されました。

明では、初代洪武帝の代に、洪武通宝が発行され、
宣徳通宝、弘治通宝、嘉靖通宝など、各種銭貨が発行されました。
なかでも、代表的な銭貨は、永楽帝時代につくられた、永楽通宝です。

永楽通宝は、室町時代に、日明貿易で大量に輸入されました。
通用禁止令が出される江戸時代初頭の1608年まで、
日本国内で広く流通し、
禁止令以後は、永楽通宝をベースにつくられた、
寛永通宝などの国産銭貨に代わりました。

永楽通宝は、明国内では流通せず、
もっぱら海外で流通していたという説があります。
初代洪武帝のとき、
皇帝の名の銭貨を発行したものの、途中で紙幣に切り替えたため、
それ以後は、貿易の決済のためだけに、
銭貨を発行していたというのです。
実際に、永楽通宝は、日本だけでなく、ベトナムやインドまで流通し、
さらに遠く、アフリカのケニアからも出土しています。
海外で発見された銭貨の量は、
中国国内での出土よりも、はるかに多いのです。

しかし、銭貨から紙幣への転換説は、
第二次大戦後、中国の研究者が、
中国の貨幣経済の先進性をアピールするという目的が、
メインだったようで、正しい分析ではありません。
洪武帝の紙幣「大明通行宝鈔」は、6種類が発行されましたが、
不換紙幣だったこともあって、価値を維持することが難しく、
永楽帝の時代には、外征によるインフレが激化したため、
価値が暴落し、使われなくなったというのが実情のようです。
一方で、銭貨は、兌換貨幣であり、
金銀貨幣への交換が担保されていたため、
貨幣としての信用性を、長く維持することができました。

外国の貨幣が国内で流通するというのは、不思議に感じますが、
金属に限らず、貝であろうが、石であろうが、何であろうが、
物資と交換できるモノとして正常に流通する保証があればいいわけです。
これは、現代でも通じる真理原則です。
すべての国の紙幣は不換紙幣ですが、
自国政府の信用度の低い第三国では、
不換紙幣の価値を維持することが難しいため、
国内で普通にドルが流通し、決済できるというのも、同じような現象です。

紙幣の話をもう少し。
世界で初めてつくられた紙幣は、北宋時代の「交子」だといわれています。
もともとは、民間で約束手形として使われていたものを紙幣にしたもので、
北宋ののちには、南宋の「会子」、
女真族金王朝の「交鈔(こうしょう)」や、
モンゴル、元、そして明に受け継がれています。

コレクターとしては、これらの古紙幣を入手したいところですが、
博物館以外で見ることは難しいのです。
明時代の紙幣でも700年前になりますから、
現存の可能性は、ほとんど考えられません。

以前、明時代につくられた、木製の羅漢像の内部から、
「大明通行宝鈔」が発見されたことがあります。
オーストラリアのオークションで、
羅漢像とともに、500万円ほどで落札されたということですが、
ほとんどが、紙幣の評価だったということです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。