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グレートジャーニー

よしをです。

今から20万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、

その後、何万年もかけて、世界中に拡散しました。

日本国内には後期石器時代の遺跡が1万以上見つかっていますが、

そのすべてが3万5000年前以降に集中しています。

つまり、それ以前は、日本列島は無人だったのです。

 

アフリカから東上した人類は、ユーラシア大陸の東端に到着し、

そこから先は、一部のグループが日本列島やフィリピンを目指しました。

大陸から日本列島への人の移動は、3つのルートが考えられています。

朝鮮半島から対馬を経由するルート、中国大陸南部から沖縄へのルート、

シベリアから北海道へのルートの3つです。

 

当時の海水面は、現在よりも80メートル程度下にあったため、

北海道と樺太は大陸から地続きであり、徒歩移動が可能でした。

一方、大陸と台湾は陸続きでしたが、朝鮮半島と本州、台湾と沖縄の間は、

海が隔てていたので、海路で移動する必要がありました。

つまり、日本やフィリピンへ入植した人たちは、

人類史上初めて、本格的な航海技術をもったグループだったのです。

(ちなみに、本州、四国、九州はつながってひとつの島でした)。

 

わたしが注目したいのは、かれらがどんな船で移動したのかではなく、

危険を顧みず、「なぜ海を渡ってきたのか」ということです。

海洋学者らによれば、

かれらは冒険心によって大海原に船をこぎ出して、

たまたま日本に到着したとは考えられないといいます。

中国大陸南部から船で出発して、黒潮に乗って漕ぎだした場合、

沖縄列島の北を通って、奄美大島の北から太平洋に出てしまいます。

沖縄には大きな山もなく、目視で島影を見つけることができません。

どうやって、そこに陸地があることを知ったのかは定かでありませんが、

かれらが沖縄に上陸したのは事実なのですから、

偶然の結果ではなく、具体的な目標をもって航海してきたことは、

確実だといえます。

 

移住したグループの人数と構成にも注目する必要があります。

少人数が無人島に着いても、子孫を残すことができません。

当然ながら、かれらは男だけの集団ではありませんでしたが、

コンピューターのシミュレーションによれば、

無人の土地に部族の子孫が定着するためには、

少なくとも5組のカップルが必要だということであり、

つまり、かれらは、部族単位による計画的な移住計画のもと、

海を渡ってきたと考えられるのです。

 

冒険の旅を選択したグループは、

必ずしも、進取の気質に富んだ人たちだったとは限りません。

もとの場所で人口が増えて食糧不足になったり、部族間の争いに敗れて、

その地を出て行かざるを得なかったグループもいたでしょう。

日本人の祖先が、負け組の集合体とは考えたくないですが、

大陸側の人たちとわれわれ日本人の気質を比較して、

争いを好まないグループが日本人を構成したと考えれば、

納得がいきます。

 

20万年前にアフリカ大陸で生まれた人類は、

6万年前にアフリカを出発しました。

いくつかの部族に分かれて、ユーラシア大陸を東西に向かい、

一部のグループは、3万5000年前に日本に到達し、

さらに先を目指したグループもいました。

1万5000年前には、ユーラシア大陸をさらに北上して、

ベーリング海峡を渡海して北アメリカに至り、

人類が南米に到達したのは、今から1万2000年前のことでした。

 

アフリカから南米までの人類の大旅行は、

グレートジャーニーと呼ばれています。

人類をホモ・サピエンスならぬ、ホモ・モビタリスと呼ぶ学者もいますが、

うまく名付けたものです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。