よしをです。
1947年に、パレスチナのクムラン洞窟で、
そのなかに数千本の古い巻物が収められていて、
調査の結果、1800年以上前に書かれたものであることが判明しました。
巻物にはユダヤ教の教義信条や生活規範などが、
現存する最古のヘブライ語聖書の写本も含まれていました。
これらの一連の古書物を死海文書といい、
現在、その多くがイスラエル博物館の所蔵となっています。
その後、ベツレヘムの古物商の男が、
地元のベドウィンから多数の巻物の断片を買い取ったという噂があり、
2000年以降、死海文書の断片とされるものが市場に出回りました。
それはいずれも硬貨ほどの大きさで、収集家や博物館は、
現存する最古の聖書写本を入手するチャンスとばかりに飛びつきました。
アメリカワシントンDCにある聖書博物館もそのひとつですが、
専門家の調査の結果、博物館が所有する死海文書の16点の断片が、
すべてニセモノだと判明しました。
本物の死海文書は羊皮紙(動物の皮を伸ばしたもの)に書かれていますが、
聖書博物館の断片は、皮をなめした皮革でつくられていて、
皮の製法が、本物とは異なっていました。
羊皮紙は年月が経過すると、コラーゲンが分解されてゼラチン状になり、
弾力性のある独特の質感が出てくるのですが、
贋物の断片の皮革の表面は、膠(にかわ)で加工され、
なめらかな質感になっていました。
ただし、皮革自体は古代のもので、
断片のひとつには、人工的に開けた小さな穴が並んでいました。
ローマ時代の靴にも同じような穴があけられていることから、
この断片は、おそらくどこかの砂漠に埋もれていた、
靴かサンダルの切れ端だったと考えられています。
さらに、インクが、素材の亀裂の間に液だまりをつくり、
破れた断面から流れ落ちている状況がみられました。
これは、皮革が破れたり、劣化してから、文字が書かれた証拠です。
X線を当てると、
死海文書が書かれた時代よりものちに生まれた技法である、
石灰をつかって獣毛を取り除く処理がされていることも判明しました。
このように、次々と贋作の証拠が明らかにされていったのですが、
博物館としては、事前に見破るすべはなかったのでしょうか。
贋作に騙される場合、
文物そのものの真贋判定が難しいというケース以外に、
来歴など、周辺状況によってミスジャッジを起こすケースがあります。
この場合、ベドウィンが秘蔵していた大量の古代文書の断片を、
古物商が買い上げたという噂があったことが最初の罠でした。
その風評が事実かどうかも不明であり、
それが事実であったとしても、古物商が買い上げたものが、
死海文書と同時代の古いものだったかどうかは、わからないのです。
もうひとつの罠は、
ユネスコが、1970年に文化財不法愈室乳等禁止条約を採択し、
不当な発掘や文書の売買を禁止したことです。
ユネスコ条約以前に発見された断片は、取引禁止の対象外とされたため、
これが最後のチャンスとばかりに、
欲にかられたコレクターや博物館が我先に飛びついたというわけなのです。
聖書博物館と同じ来歴の断片が世界に70点ほどあるといわれていますが、
おそらく、すべてが贋物でしょう。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。