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首都とコンプレックス

よしをです。

「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど…(中略)、東北は熊襲(ママ)の産地で文化的程度も極めて低い」。

 

1988年のサントリー佐治敬三社長のテレビ番組での発言が、

大きな反響を呼びました。

熊襲(くまそ)とは、

古代日本において、大和朝廷に対抗した九州地方の勢力のことで、

同じように、東北地方に存在していた反朝廷勢力は、

蝦夷(えみし)と呼ばれていました。

いずれの勢力も、畿内の朝廷からみた蛮族に対する蔑称です。

したがって、佐治氏は「蝦夷」というべきでしたが、

さすがに「文化的程度も極めて低い」は言葉が過ぎ、

東北地方でサントリー不買運動が起こりました。

 

首都移転構想は、かつて河野一郎建設大臣が、

静岡県浜名湖畔への首都移転を検討していたことに遡りますが、

河野氏の急死で構想は頓挫しました。

その後バブル景気で首都圏の地価が高騰したことから移転構想が再浮上し、

1990年には「国会等の移転に関する決議」が両議院で議決し、

2年後に「国会等の移転に関する法律」が成立しました。

 

その後、具体的な動きはありませんでしたが、

1999年の東京都知事選で石原慎太郎氏が、

「首都移転絶対反対」を公約にして当選したことから、

実質的に首都移転構想は消滅しました。

 

佐治発言は、1990年の「移転に関する決議」の2年前のことでした。

首都機能移転の議論が盛んな時期であり、

とくに仙台市は誘致活動に積極的でした。

 

大阪市大阪府の二重行政の解消を目指した「大阪都構想」については、

経済性や実効性の是非はともかく、

大阪都」という名称への違和感について、このブログで取り上げました。

都構想には、大阪をよくしたいという気持ちが根本にあるのでしょうが、

東京に対するコンプレックスむき出しのネーミングを耳にすると、

思わず興ざめしてしまうのは、わたしだけでしょうか。

 

住民投票の結果、大阪の二重行政が解消したとしても、

自動的に「大阪府」が「大阪都」になるわけではありません。

地方自治法に「都道府県の名称は法律で定める」という条文があるからです。

したがって、「大阪都」にするためには、

国会で名称変更の承認を受けるか、法改正しなければなりません。

この点について、大阪維新の会は何もコメントしていませんが、

どちらもハードルは高いと思われます。

 

東京都はかつて「東京府」であり、現在の23区は「東京市」でしたが、

1943年、戦時体制のなか、政府は東京市の力を弱めるために、

東京市を35区に分割して中央集権をすすめました。

つまり、かつての「都構想」は、

現在の地方分権とは異なる目的でおこなわれたということを、

追記しておきたいと思います。

 

話を前に戻すと、仙台地方ではいまだにサントリーのシェアが低く、

不買運動が個人レベルで続いているのだそうです。

個人的にも佐治発言は容認しませんが、

東北人のコンプレックスも根強いものがあります。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。