さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

漢字文化圏

よしをです。

漢字文化を共有している国は、

中国、台湾、日本と、南北朝鮮とベトナムがあります。

しかし、現在、実際に漢字を運用しているのは、中国、台湾、日本だけです。

日本では、漢字は4~5世紀ごろ、大陸から伝わりました。

古事記日本書紀も、それぞれ漢字によって記述されています。

その後、「かな」の発明により、

日本の文字表記は、漢字とかなの併用でおこなわれています。

 

ベトナムでは、1945年まで公式の表記文字として、

漢字が使われていましたが、残念ながら、現在は廃止されています。

 

1802年にグエン朝が全域を統一するまで、

ベトナムでは、北部、中部、南部に、別々の王朝が並立していました。

秦の始皇帝の時代から、北部ベトナムは、

北属期とよばれる中国王朝の支配下にあり、

紀元前200年ごろ、漢王朝が漢字を持ち込みました。

その後も、長く中華帝国の従属状態にありましたが、

北部ベトナムで独立王朝が誕生(李朝)し、

儒教や仏教、科挙など、中国文化を多く取り入れたことから、

漢字文化は本格的に広がっていきました。

 

1802年に、阮朝が北部、中部、南部を統一し、中央集権化をすすめました。

この時代にベトナムで使われていた文字表記は、

漢字と、日本のひらがなに当たるチュノムという文字との、

組み合わせによるものでした。

 

漢字が廃止されたきっかけは、1887年に、仏領インドネシアが成立し、

フランスの植民地に置かれたことでした。

フランス当局は、当初は、フランス語の公用語導入を検討しましたが、

その先立ちとして、クオック・グーという、

ラテン文字を起源とする、表音文字の普及に力を入れました。

この文字は、フランス人カトリック宣教師が、

ベトナム語の発音をアルファベット表記したのが起源だといわれています。

 

ベトナムの知識人や一般大衆から、

伝統文化である、漢字とチュノムを軽視するという反発がありましたが、

科挙においてクオック・グーの試験が加えられるなど、

フランス当局は、知識層にもクオック・グーを使わざるを得ない状況に、

追い込んでいきました。

そして、第二次大戦後になると、ベトナムでは漢字の使用が廃止され、

文字表記はクオック・グーに統一されたというわけです。

 

漢字とチェノム表記への回帰を理想とする、ベトナム人研究者もいます。

現在、ベトナム語には、

漢字起源の言葉が70%程度残っているといわれますが、

語源について知る人が、少なくなってきています。

日本語でいえば、すべてひらがな表記にしたのと同じ状態ですから、

同じ内容を記述するのにも、膨大なボリュームになってしまうし、

同音異義語の区別ができないので、語彙はどんどん減っていき、

文化レベルが低下していく可能性があると懸念されるわけです。

 

しかし、文化というのは、一旦、単純化の道を選んでしまうと、

複雑化の方向へ後戻りすることが難しいのです。

これは、漢字を捨て、ハングルを選択した南北朝鮮についても、

同じことがいえます。

 

漢字文化が継続しているのは、中台日だけになりました。

漢字の習得には、多くの時間がかかりますが、

その分、得るものが大きいことを、

われわれ日本人は身をもって知ることができます。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。